掛川城 |
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掛川城は、文明年間(1469〜1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。 |
太鼓櫓
正保城絵図では、荒和布櫓と呼ばれる見張りの櫓がありました。今ある建物は、嘉永7(1854)年の大地震以降に建てられていた太鼓櫓です。時刻を知らせる太鼓を置いていた櫓で、何回かの移転の末、昭和30(1955)年に三の丸から移築されました。 |
三日月堀
本丸門の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8mありました。調査では堀の南側から石垣がみつかりました。その下からは柱穴が並んで見つかりました。
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2001年08月10日 |
掛川城は、文明年間(1469〜1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。 |
霧吹き井戸
永禄12年(1569)徳川家康は、今川氏真の立てこもる掛川城を攻めました。この時、井戸から立ち込めた霧が城をつつみ、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。 |
掛川城御殿
御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩政の中心となる諸役所と、城主の公邸が連結した建物です。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。文久元年(1861)に再建されたものですが、現存する城郭内の御殿としては、京都二条城など全国でも数ヶ所にしかない貴重なものです。明治2年(1869)の廃城後は、学校、市庁舎などに転用されましたが、昭和47年(1972)から昭和50年の3年間にわたって保存修理され、国の重要文化財に指定されました。 |
掛川城大手門跡
大手門は城の正面にあたります。平成5年(1993年)に行なわれた発掘調査では、掛川城大手門の柱の礎石根固め石(12ヶ所)、番所跡、土塀の石垣を確認しました。これらの配置は正保年間頃(1644〜1647)に描かれた正保城絵図のとおりであることがわかりました。 |
大手門
1984年03月27日 |