史跡 十王堂縁起
戦国乱世永禄年間、上杉武田両将軍数度にわたる川中島合戦が続き、なかでも永禄4年の川中島平を中心とした戦いは歴史に残る大合戦にして、両軍将兵合わせて(一説には)6千有余名の戦死者を出す大激戦であったという。当地はこの戦いで主戦場となり両軍の戦死者並びに将兵の馬蹄に蹂躙されし当村民百姓等屍、付近一帯に散在せるを、当地先祖の人達が1ヶ所に集めこの地に墓標を建てて墓と為しその霊を弔った。往時この付近一帯は原野であった。
其の後、両将和議相整い、地元有志ならびに蓮香寺中興開祖7世傳蓮社法誉智恵等上人と相図り、塚の跡地に一宇を建立し、本尊阿弥陀如来と十王尊十体を安置し7月24日に大施餓鬼会を勤修し来れるも後に陽暦となり8月14日に改められる。
千曲川沿岸にあった当地は其の後、度重なる水害に見舞われしが、170年余の星霜を経て輪奐の美衰える。
昭和54(1979)年崇祖の念止めがたく慕當の情去り難く、上組、中組両区民協議により蓮香寺第28世香蓮社天誉誠順住職と相計り再建建築を画し昭和54年10月23日落成慶讃なる。
(看板資料より)
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