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長野県茅野市

上原城諏訪氏館跡(板垣平)

2014年05月18日

上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内
このクルマ道を登れば、長野県指定諏訪氏城跡「上原城」に行きます。右手の石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ヘクタール)で、戦国時代の天文11(1542)年7月、武田晴信(信玄)により諏訪領主、諏訪頼重が滅ぼされて以降、武田氏の諏訪郡代(初代、板垣信方)の邸が造立された。そして天正10(1582)年3月まで40年間、武田氏の諏訪統治の拠点となった所です。今日でもこの地籍は字名を「板垣平」と呼んでいます。
(看板資料より)



2003年07月05日

上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内
このクルマ道を登れば、長野県指定諏訪氏城跡「上原城」に行きます。右手の石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ヘクタール)で、戦国時代の天文11(1542)年7月、武田晴信(信玄)により諏訪領主、諏訪頼重が滅ぼされて以降、武田氏の諏訪郡代(初代、板垣信方)の邸が造立された。そして天正10(1582)年3月まで40年間、武田氏の諏訪統治の拠点となった所です。今日でもこの地籍は字名を「板垣平」と呼んでいます。
(看板資料より)

 
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