石和八幡宮 |
2014年07月12日 |
第12代景行天皇の御弟、稚城瓊入彦命は東国視察からやがて甲斐の国に入られここに行宮を建て一年有余滞在された。命に随行しこの地を治めた和爾臣(わにおみ)氏は、のちに行宮跡に命と一族の始祖、天足彦国押人命の御霊を合わせ祀って一族の氏神として奉祀した。 |
八幡宮信仰は、源氏一門がとくに尊崇した神であり、始祖頼信が永承の頃(1050年頃)石清水八幡宮へ奉納した願文によっても清和源氏の氏神であったことがわかる。八幡宮は、応神天皇または八幡神(三神一体)の神に対する信仰で、源氏がとくに武神として崇め、神社の配置形式は独特な八幡形式を持っている。頼信の子頼義は石清水の社前で、長子の加冠の礼を行った。これが八幡太郎義家である。康平6(1063)年、頼義は石清水八幡宮を鎌倉に勧請して鶴岡八幡宮とした。当社の社記によると、武田氏の祖信義の子信光(石和五郎)が建久3(1192)年、鶴岡八幡宮をこの地に勧請して、石和八幡宮として郷の産土神とした。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三神であり、武田氏の尊崇あつく、甲斐源氏の射法相伝の儀式はすべて当社で行われたといわれる。 |
本殿
2004年08月14日 |
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