八田家書院と表門
八田家は昔武田氏の蔵前奉行として、年貢の収納、軍糧の輸送を司どっていたため、天正10(1582)年3月織田軍の兵火に罹り居宅その他を悉く焼失した。同年7月徳川家康入国の際、徳川家に隷属し、家康から万力御林の材木を賜って母屋『この建物は安政6(1859)年7月笛吹川洪水のため大破したので取壊す』を造立し、又慶長6(1601)年都留郡富士根の材木を賜って書院を構築した。
この書院は茅葺入母屋造、桃山時代末期の武家書院様式で現在まで補修が完備して、よく当時の格調を保存しているとの理由で昭和36年12月7日山梨県指定文化財となった。
同家表門は寛文元(1661)年石和代官所創設の際代官平岡勘三郎良辰が石和陣屋表門として建立したものを、明治7(1874)年11月払い下げを受けて当家の表門としてここに移築したものである。
(看板資料より) |