放光寺 |
2013年09月21日 |
高橋山放光寺の沿革 |
重要文化財 木造金剛力士像二躯附木札一枚
放光寺の仁王門は現在地から1km南の武士原(古くは仏師原)にあったと言われ、江戸時代に入り寺の復興に伴って、新しく仁王門を今の場所に建て、仏師原の金剛力士像二躯を移したものとされている。 |
木造大日如来坐像(重要文化財)
大日如来とは梵名を摩訶毘盧遮那仏という。金剛界大日如来と胎蔵界大日如来があり、如来、菩薩、明王、天部など諸尊を統一する真言宗の教主である。当山に所蔵されている大日如来は檜材の寄木造で座高は95.4cmの坐像である。白亳は木製で、宝冠は銅製渡金である。垂髪天冠台は彫り出し、毛筋彫、彫眼である。 |
木造不動明王立像(重要文化財)
この尊像は内刳のある檜財の一木造、部分的には布張りで彩色のある立像である。刀法は浅く外見はやわらかで、特に衣紋は流麗、忿怒の相の中にもおだやかな気品に満ちた作風に特色があり、髪は総髪、眼は天地眼で、彫眼である。条帛をかけて裳をつけ、左手は下に伸ばして羂索を執り、右手は屈臂して宝剣を把む姿である。手足はやや細めに作られており、腰を右にわずかにひねり力強さを現わしている。本像は愛染明王と同じく彩色像でありながら、愛染明王とは異なり下地に布張錆下地であることや、その作風から工房を異にすると思われるが、製作時期は平安後期当寺創建期に在地で製作したものではないかと考えられる。 |
木造愛染明王坐像(重要文化財)
愛染明王は愛欲をはじめ全ての欲望にとらわれ染まる衆生を浄化解脱させる明王である。放光寺所蔵の愛染明王は、檜材の寄木造で像高89.1センチの彩色像であるが、ほとんど剥落している。焔髪に獅子冠をつけ三眼瞋目の彫目で、口を開いている。条帛をかけ、裳をつけ、右前に結跏趺座する。左手は屈臂し腹にあて五鈷鈴をとり、右手は屈臂し胸に当て五鈷をとる。左脇第一手は屈臂し胸にあて矢をとる。左第二手屈臂と右第二手屈臂は蓮をとる姿で、三眼六臂の姿である。本像は弓と矢をつがえた天弓愛染明王像の姿に表されているが、全国に京都神童寺、高野山金剛峯寺と当寺の三躯が天弓愛染として重文に指定されている。 |
木造毘沙門天立像
甲斐源氏安田義定 一の谷合戦 |
安田義定寄進の梵鐘
建久2(1191)年8月27日法光寺(現放光寺)に寄進する。現在の鐘は貞治5(1366)年に改鋳する。のちに武田信玄の時代には、この鐘を甲府躑躅ヶ崎の館に移し、武田軍の陣鐘として用いる。 |
甲斐源氏安田義定公廟所
安田義定略年表
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1999年09月05日
武田信義の弟(実は義清の子)である安田義定によって建立されたというのがこの放光寺です。もともと訪れる予定は無かったのですが恵林寺の駐車場が混んでいたのでこちらの駐車場に車を止めたことによりその存在を知りました。恵林寺のすぐ隣にあるのですが恵林寺があまりにも有名なため、この放光寺にはほとんど人がいませんでした。静かなところで精進料理を食べさせてくれる(予約要)ことで有名だそうです。この日は法事のため拝観することはできなかった。また、黒川金山での犠牲者を鎮魂する仏像もありました。 |