法寿寺 |
2010年03月22日 |
竹重の法寿寺は山号を妙延山といい、今は日蓮宗であるがもと真言宗で明王寺の別院であったといわれる。その境内に寺の鎮守として八幡堂が祀られているが、これは大井源三郎信豊が霊夢のお告げによって祀ったものだといい伝えられている。信豊は信玄の弟の大井信繁の子で、ある時のこと平林の大垈に来て道に迷い、里に下る道を尋ねたところ、反対の道を教えられ山中深く迷い込んでしまい進むに進めず、退くに退けずにいるうちに、彼に敵意を抱く者たちのために殺された。そのとき信豊は16歳で、永禄10(1567)年9月25日のことであったという。武田家の遠縁に当たる小林の地頭小林対馬守が彼の非業の死を哀れみ、この寺に厚く葬り墓をたてて菩提を弔った。ある年の9月25日の夜に信豊が対馬守の夢に現れ、八幡宮を建てて祭るようお告げをしたので、建立されたのがこの八幡堂であるという。 今回の史跡探索で一番最初に訪れたのがこの法寿寺です。まだ朝早かったので誰にも会うことができず、八幡堂がどれなのかも分かりませんでした。
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