堀ノ内城 |
2009年05月05日 |
「長野県町村誌」では諏訪刑部左衛門頼角の居城としており、一説では布引氏の詰城ともいわれている。布引氏の居館は西北西約2kmの断崖下にあり、天文〜永禄年間、楽厳寺城主楽厳寺雅方と行動を共にした布下仁兵衛雅朝が居住した。 |
楽厳寺城探索中に薫風山荘の奥に進んでいったら住宅がありご婦人がいたのでお話を聞いてみました。楽厳寺城の場所について聞いたのですが楽厳寺城かどうかは分からないがこの周辺も昔の城跡であり、鏡を使って合図を取り合い烽火をあげていた場所であるという話をお爺さんから聞いていたとのことでした。以前の地籍は堀ノ内であるとのことでしたのでここが堀ノ内城跡であることが分かったとともに、薫風山荘周辺が楽厳寺城であるということも分かったのです。畑や池などを作ったりしてきたので今ではすっかり当時の面影はないが堀があったと言われている場所などを教えてくれました。
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