楽厳寺城 |
2015年05月03日 |
土塁
文明年間から天文年間にかけて甲斐の武田氏が佐久に侵入し、地侍やこれを支援する村上氏と相争うに及んで脚光を浴びた城である。 |
堀切
池と土塁
池と土塁
堀切
2009年05月05日 |
文明年間から天文年間にかけて甲斐の武田氏が佐久に侵入し、地侍やこれを支援する村上氏と相争うに及んで脚光を浴びた城である。 |
日本城郭大系によれば楽厳寺城は釈尊寺の西南約300mの山頂にあり、北は比高200m以上の布引の大断崖、東は果成寺沢、西側は不通(とおらず)の深谷となっているとのことでしたのでまずは釈尊寺に行ってみることにしました。釈尊寺は下から登ったこともありますが2回目に来た時に南側の林道から行かれることを確認済みだったので南側に行ってみました。林道布引線というのがあって標識もあるのですぐに分かりました。後半は極めて急な坂道を下って駐車場に到着。膝が痛かったのですがなんとかたどり着くことができました。 |
しかたなく先ほどの林道を更に奥まで進んで行くと土塁らしきものが見えるようになってきました。その後周辺を歩いてみましたが掘切らしきものや池などがありました。近くには別荘地らしき場所がありました。後で分かったことですが薫風山荘とのことで私が持参した長野県広域道路地図にも載っていました。別荘地の方に進んで行くと住宅がありご婦人がいたので話を聞かせてもらいました。それによるとやはり先ほどの別荘地付近が楽厳寺城跡ではないかとのことでした。
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