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山梨県韮崎市

日ノ出城

2008年01月03日

日ノ出城は、鷹巣(たかのす)城または日之城とも呼ばれ、西部は塩川の断崖に臨み、要害を誇る。
この地は、室町時代の初期応永・永享(1394〜1433)のころ、武田右馬助信長に日一揆が属し、武田氏再興の拠点として、活躍した所である。
そのころ逸見・跡部両氏に輪宝一揆が与して敵対し、抗争を繰り返したが、永享5(1433)年4月、信長・日一揆は、輪宝一揆と荒川原で激戦を交えたが大敗を喫し総崩れとなった。
以来城域は廃墟と化したが、天正10(1582)年北条氏直当国侵入により、徳川家康城跡を修築して、これに備えた。
城名は日之城の区名として、城跡はトリテ・土居・官女屋敷・牛が馬場などの地名が残り、砦・空堀の遺構もあって、往時を偲ばせている。
(看板資料より)

日ノ出城と思われる場所まで行ってみたら、さっそく日ノ出城の看板を発見しました。しかしそれ以上のことが書かれていなかったのでその付近のお宅で日ノ出城の場所を聞いてみたところ、丁寧に教えてくれました。もう少し先まで行って左側に曲がるとこの上の方に出られるとのことでした。確かに日ノ出城への案内板がいくつかありました。そしてたどり着いたところはなんと中央高速の橋の上でした。山を切り崩して高速走路を作ったときにきっと日ノ出城の遺構は壊されたのでしょうか?南側を見ると富士山がきれいに見え、北側を見ると八ヶ岳が見えました。中央高速を諏訪方面に向って走っていると、ちょうど八ヶ岳連峰と書かれた看板が出てくるところです。あの看板が見えたら日ノ出城のことを思い出してください。

 

 
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