羽場城 |
2011年12月31日 |
羽場城の由来 |
羽場城館跡 |
堀跡
羽場の北の沢の上に古城の跡がある。天文13(1544)年に武田勢が有賀口から伊那郡に攻め入ってきた時、小笠原長時の旗下の草間肥前守がこの場所で支え、竜ヶ崎で合戦をした。その後、弘治年中(1555〜58)に武田方の柴河内守をここに差し置いた。文禄年中(1592〜96)に飯田城主の京極修理大夫がこの地を知行した時に、今の羽場へ城を移した。 |
櫓台と思われる土壇
場所は手長神社を目指して行くとたどり着けると思います。想像以上に大規模な堀で郭が仕切られており驚きました。土塁も残されていましたが土塁の上から堀の底までマレットゴルフのコースになっていました。手長神社周辺の郭と堀跡のみの確認となりましたが、図によると更に外側の堀跡もあるようでした。神社の裏側にまわってみると天竜川の川のせせらぎが心地よかったです。
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