昔は更級郡杵淵村にあったが、川中島合戦後に現在地に移った。天文22(1553)年、武田信玄が寺領50貫文を寄付した。
(松代風土記・長野県の武田信玄伝説より)
火焔のない不動明王
元禄14(1701)年真田幸道によって建立された護摩堂には、火焔のない不動明王がまつられています。この不動明王は、弘法大師がナタでおつくりになったといわれ、色黒で大きな目をして、右手に剣、左手に縄をもって仁王立ちの姿であります。
はじめ、背中に火焔を背負っていたのでしたが、永禄2(1559)年、寺がこの地に移転された時、喜び勇んで火焔を空に打ち上げてしまい、火事と間違えられて、殿様の命令で取り去ってしまったという、全国でもめずらしい火焔のない不動明王であります。
(看板資料より)
誰にも会うことができず詳細は分かりませんでした。建物がL字型になっていて屋根の形が東光寺の屋根のように中央部分が長く突き出していたのが印象的でした。
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