←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→

山梨県甲府市

恵運院

2013年09月01日

 
大きな地図で見る

平和観音で知られる長松山恵運院は、戦国時代に武田氏代々の庇護を受けて発展した曹洞宗の寺院です。寺には、武田信縄の墓をはじめ、信虎の寄進状や武田逍遥軒信綱の描いた開山雪田宗岳和尚画像など、武田氏との深い結びつきを物語る貴重な文化財が多く残されています。この寺は、境内に多種多様の梅の木があることでも有名で、江戸時代に編纂された地誌「甲斐国誌」には、「紅白奇種絶品幾百株」と記されています。そのうちの一株は信玄公お手植えのものと伝えられ、梅花の碑にその由来を刻んでいます。碑文は甲府勤番支配の滝川利雍の選文、書は富田武陵が書いたものです。
(看板資料より)


本堂

恵運院文書
所蔵されている文書12点(武田信虎書状、武田晴信印判状、武田晴信印判状、武田家印判状、武田勝頼判物、織田信忠禁制、織田信長禁制、加藤光泰印判状、浅野忠吉書状、浅野長継禁制、平岩親吉禁制、雪田和尚判物)は、武田家の最も栄えた信虎、信玄、勝頼の武田三代の時代から江戸時代の初めにかけての古文書で、武田一族の跡継の菩提寺であったため、歴代の保護が厚かったこと、又武田家から徳川家に至る甲斐国の統治者の移り変わりをはっきりとうかがい知ることができる歴史的、学術的価値の高い貴重な資料である。
(看板資料より)


武田信縄の墓


開山雪田宗岳和尚の墓


開基清遠安和尚の墓


信玄公お手植えの梅



2004年08月14日

平和観音で知られる長松山恵運院は、戦国時代に武田氏代々の庇護を受けて発展した曹洞宗の寺院です。寺には、武田信縄の墓をはじめ、信虎の寄進状や武田逍遥軒信綱の描いた開山雪田宗岳和尚画像など、武田氏との深い結びつきを物語る貴重な文化財が多く残されています。この寺は、境内に多種多様の梅の木があることでも有名で、江戸時代に編纂された地誌「甲斐国誌」には、「紅白奇種絶品幾百株」と記されています。そのうちの一株は信玄公お手植えのものと伝えられ、梅花の碑にその由来を刻んでいます。碑文は甲府勤番支配の滝川利雍の選文、書は富田武陵が書いたものです。
(看板資料より)

恵運院文書
所蔵されている文書12点(武田信虎書状、武田晴信印判状、武田晴信印判状、武田家印判状、武田勝頼判物、織田信忠禁制、織田信長禁制、加藤光泰印判状、浅野忠吉書状、浅野長継禁制、平岩親吉禁制、雪田和尚判物)は、武田家の最も栄えた信虎、信玄、勝頼の武田三代の時代から江戸時代の初めにかけての古文書で、武田一族の跡継の菩提寺であったため、歴代の保護が厚かったこと、又武田家から徳川家に至る甲斐国の統治者の移り変わりをはっきりとうかがい知ることができる歴史的、学術的価値の高い貴重な資料である。
(看板資料より)


信玄公お手植えの梅


武田信縄の墓

 
←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→