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愛知県新城市

大通寺陣地

2014年08月15日

大通寺山陣地
武田信豊:長野北佐久小諸の城主、信繁の子(勝頼の従兄弟)
馬場信房:長野更級牧の島の城主。
小山田昌行:山梨中巨摩上石田に住む。

 

5月13日 長篠城瓢郭を攻めて兵糧庫を奪った。
5月14日 武田軍は長篠城総攻撃、それより後は長囲み(食糧攻め)の構えをとる。
5月18日 織田・徳川軍は設楽原へ到着し陣地を築き始める。
5月19日 武田軍医王寺本陣で軍議。馬場信房はじめ重臣の主張はいれられず設楽原出撃決定。
馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次ら四名の将は討死を覚悟して大通寺の泉で別れの水杯をかわした。
5月20日 豊川渡河、設楽原へ陣をしく。
(小山田は長篠城の押さえ)
5月21日 設楽原決戦に連吾川上流方面で戦い、武田軍撤退の時に馬場信房は殿をつとめ、勝頼を見送った後に織田の軍の士に首を与えたという。

 

 
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