大福寺 |
2004年08月14日 |
浅利与一公の層塔と五輪群
中央の層塔は、田の字状に並列した基礎を最下位として、その上に方形の基盤があり、その上に龕洞のある円筒主軸を置き、更に方形の屋蓋を平円軸を交互に四回重ね最上部に宝珠をもつ、3メートル余の層塔で左右の五輪塔群とともに凝灰岩をもって平安末期から鎌倉初期に作られたものと推定される。その悠揚せまらざる安定感のあるところ本県の石造美術の最たるもので全国的にも有数のものである。 浅利与一義成公記 |
浅利与一義成公像
浅利与一義成公は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて豊富村を中心に広く一帯を統治支配していた甲斐源氏の武将である。源平合戦で弓の名手として活躍した佐奈田与一、那須与一とともに「三与一」の一人として特に誉れ高く、「平家物語」には、壇ノ浦の戦いで平家方の武将を400メートル以上先から射倒したことが記されている。
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