信濃山 長野業政公 供養塔
中央が長野業政公の墓、左が万霊菩提の為に大乗妙典1千部を誦された記念塔、右が業政公令室の墓と伝えられている。
業政公は長野氏60年間の箕輪城主の中でも最も智・仁・勇を兼ね備えた名将の誉れ高い城主であり、武田信玄の数度にわたる猛攻にも屈せず、長野氏の全盛期を築き上げた武将である。
弘治年間、業政公母君17回忌の折追善供養の為、長純寺を上芝よりこの地に移転建立した。
数度の火災に遭い寛永年中に一段下の現境内へ移転となり今に至る。
尚、この供養塔は当寺13世実山孤真大和尚の代に建立されたと伝えられており業政公の戒名は、実相院殿一清純大居士である。
(看板資料より) |