有田城 |
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有田城跡と有田合戦 |
永正14(1517)年安芸守護職銀山城武田元繁は熊谷元直・己斐師道・香川行景等諸将を与力とし5千の大軍を擁して、小田信忠の居城、有田城を包囲したが、これを黙視し |
焼け米が出るところ
落城のとき兵火に焼けた兵糧米が出る。 |
有田八幡神社
往古は岩崎弥間に鎮座したが茗荷丸落城後に現地に移転すると伝える。天文21(1552)年11月。社殿を造営するその時は吉川元春の当荘代官朝枝加賀守経家従事奉行森若狭守と記されている。 駐車場が整備されていて説明板もありました。登山道が2箇所あったのですが奥の方の登山道から登って行きました。途中までは舗装された道路でしたが途中から山道になりました。蜘蛛の巣も沢山あったので木の枝を拾って払いながら登りました。15分程で見晴らしの良い所に出ました。山の麓を見渡すことができ中国自動車道を走る車の走行音が印象的でした。
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