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    長野県飯田市静岡県水窪町

青崩峠

2015年10月12日

静岡県指定史跡 海抜1082メートル
青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから「塩の道」ともいわれている道である。
また、戦国時代、武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。近代においては可憐な少女達が製糸工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である。
(看板資料より)

 



2004年04月30日

静岡県指定史跡 海抜1082メートル
青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから「塩の道」ともいわれている道である。
また、戦国時代、武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。近代においては可憐な少女達が製糸工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である。
(看板資料より)


兵越峠への道と分かれて国道152号線を青崩峠方面に進むと、道はかなり荒れています。普通の車でも行かれますが慎重に運転する必要があります。


登山道入口から青崩峠まで20分と書いてありますが、私の足で10分ちょっとくらいでした。ゆっくり登れば20分で十分だと思います。


青崩神社


青崩峠への道


静岡県側の登山道入口


さば地蔵
魚を抱えたさば地蔵は、海のない信州方面へ海産物を運ぶ人々が手元に届くまでに腐らないように祈願して建立されたと伝えられるほか、ある日この川の一の瀬淵で釣った魚の友に「俺の連れをとった。」と悲しい声で言われた男が、その魚を食べてすぐ死んだので、供養のために建てたとも言い伝えられています。
(看板資料より)

やまめ地蔵(魚を抱いた地蔵)
昔、辰の戸の「おとも淵」には翁川の主と言われる年を経た大きな「やまめ」の夫婦が棲んでいた。ある日心ない村の釣り人にその一尾が釣られてしまった。それ以降、村の人々の争い、疫病、そして山崩れなど悪い出来事が続き誰言うとなく「おとも淵のやまめのたたり」と噂が広まった。村人は釣られた「やまめ」の供養に地蔵を刻みねんごろにお祀りした。
魚を抱いた地蔵さまは村に平和をもたらし、釣り人が祈願すると良いことがあると言い伝えられるようになった。
(看板資料より)


木地屋の墓


瑟平太郎の墓

勇犬早太郎の物語
昔、見付の天神様(磐田市)では毎年8月10日の夜、白木の箱に娘を納めて、イケニエとして怪神に供えなければならないという悲しい習わしが続いていた。ある夜、イケニエを捕りにきた怪神から「このことは信州信濃の早太郎には知らせるな」との声を聞いた旅の僧が、こっそり光前寺(駒ヶ根市)に飼われていた早太郎という強い犬を借りてきて祭礼の夜、ひそかに娘の代わりに早太郎を箱に入れて供えた。怪神が箱に手をかけたとたんに早太郎は怪神に飛びかかり、大格闘の末怪神を退治した。以来イケニエの習わしは絶え里人は大いに喜んだが、早太郎も深手を負った。早太郎をつれて光前寺へお礼参りに行く途中、傷ついた早太郎も哀れここで死んだ。人々は早太郎の功績に感謝し、その勇気をめでて此処にささやかではあるが、彼の碑を建ててその名を後の世に伝えたという。
(看板資料より)

 

 
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