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新潟県長岡市

秋葉神社

2007年11月24日

奥の院と本堂がありました。横の空き地では野球をして遊んでいる親子もいて憩いの場になっているようでした。奥の院は全体が網で囲われていました。本堂は中に入れるようになっていたので参拝しました。どれも常安寺所有と書かれていて墓もありました。常安寺の方にも表の門には秋葉権現と書かれていたし、秋葉神社と常安寺は一体になっているようでした。

秋葉神社算額
当神社には、市内新山の数学者諏佐嘉右ェ門嘉継とその弟子によって研究された、非常に珍しい和算の額が一面奉納されています。和算は、江戸時代日本で独自に発達した数学で、当時その研究は天文学的な高等数学にも及び、測量技術などに生かされていました。この算額(同形の複製品)には、平面や球体の総積から各図形の辺の長さと扇状の弧や径を求める3問の問答が表されております。
嘉右ェ門は、父長山(医師俳人)、母卯香(画家)の長男として医師の傍ら、算学者としても活躍しました。明治26年に奉納された算額は、損傷を防ぐため別に保管されています。
(看板資料より)

秋葉山尺坊大権現
天文20(1551)年常安寺の守護神として上杉謙信が岩野蔵王堂からこの地に遷座したと伝えられ、遠州秋葉山と共に秋葉信仰の二大霊山の一つとして有名です。祭神の秋葉三尺坊は厳しい修行の末霊験を示し、我が名を唱えれば失火と延焼と一切の火難を逃すと宣したことから火防の神として信仰されるようになり、江戸時代には全国からおおぜいの参詣者が集まりました。
社殿内には、明治26年市内新山の諏佐嘉左ェ門が奉納した、擬宝珠(円錐)の体積計算に関する出題、解法、解答を示す算額が掲げられています。
(看板資料より)


秋葉神社奥の院

この建物はすべて欅材で作られており、屋根は一重切妻造で桧皮葺となっています。外側の瓦葺の建物は、この奥の院を守るための鞘堂です。奥の院の腰長押と内法長押との間には厚さ24cmの欅の一枚板をはめ込み、東側には烏天狗の酒宴、南側には大天狗の前で烏天狗と若武者の試合、西側には烏天狗の敗北の図を彫り出しています。また土台から破風に至るまで豪華な彫刻で埋め尽くされています。この彫刻は安政年間に石川安兵衛と熊谷源太郎の二人によって8年間の歳月を費やして彫られたものと伝えられています。石川安兵衛は雲蝶と号し、本名は正照といい、江戸雑司ヶ谷の生まれです。弱冠20才頃にすでに彫刻の奥儀を究めたといわれその後越後に入りました。新潟県を代表する彫刻家であり、各地に作品を残していますが、小出町大浦の開山堂の彫刻など特に有名です。
(看板資料より)

 

 
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