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再びシベリア鉄道


<8日目>1989年2月16日(木)

5:30起床、〜6:15シャワーを浴びる。風呂も今日限りでまた4日間は入れないのだ。それから7:30ごろまで日記を書く。今ここを書いている。やっと追いついた。今日でちょうど1週間が過ぎ、第1編のシベリア編は終了する。なんだか日本にいるのと同じようなペースで時間がたつ。去年の今ごろは北京を出て列車の中だった。

8:45から1階で朝食である。イルクーツクの朝食も今日で終わりである。ハムがいっぱいあったので大量に持ってきて食べる。日本人の女の人2人が席に荷物を置きに来るがどこかへ行ってしまう。〜9:30
食後先にレストランを出てロビーでタバコを吸う。部屋に戻り荷物をまとめて下にもっていき、預けて10時過ぎにチェックアウトする。日名子とともにホテルを出て、お定まりのコースでまずアンガラ川へ行く。氷の滑り台は全然滑れないので川へ降りていき、カールマルクス通りへと向かう。今日は一段と川から湯気が立ち上っている。塔のところで一服しつつ川を眺める。ダイヤモンドダストでキラキラしていてきれいだ。イルクーツクでは午前中は常にダイヤモンドダストを見ることができる。

マルクス通りに入ってすぐの所の地誌博物館へ入る。はじめ入り口を間違えてしまうが11時に地誌博物館へ入る。1階はモンゴル関係のものがあって写真に映っているモンゴル人が着ている服が実際に展示されていた。2階へ行ってみるとイルクーツクに関するいろいろな資料がありでかい地図やグラフなどがあったがロシア語の説明なので意味がわからない。1階へ降りてきて入口の椅子に座って日名子を待つ。(そういえば2階に日本の人形があった)地誌博物館を出て北へ向かう。途中数件の店に入るが12時すぎにセルフサービスの食堂へ入る。バイキング方式で自分の好きなものを選んで最後にお金を払う。私はピロシキとボルシチを食べる。日名子は油の塊を食べてこれがやたらと高価なものらしい。ここのボルシチは今までで最高である。

13時には食堂を出てマルクス通りから昨日私が行ったデパートへと向かう。日名子氏はやたらと店に入るので、暇な私は外でタバコを吸う。13:30ころには結局わかれることにした。(17時にホテルで集合)私はデパートから南に下り、スタジアムに出て東に向かい中央公園へ行くことにした。

途中修道院があって写真を撮る。スタスタと歩き14:30ごろ中央公園に到着する。ほとんど誰もいないし観覧車等はぶっ壊れていて駄目である。入ってすぐに人がいたので「グジェー トワレット」と聞くと、通じたらしく教えてくれた。奥へ入っていくとトイレがありました。このトイレはまるで中国である。そこから更に奥に進み反対側の入り口まで行って中央の方へ入っていく。変な動物がいた。写真を撮ろうとしたら寄ってきた。そこから広場みたいなところへ出てベンチに座りタバコを吸う。三脚を使って写真も撮る。帰り道はスタジアムまでは行かずに修道院の所を南へ曲がりアンガラ川へ出て、また塔のところから川へ降りて氷の上を歩いてホテルへ帰ってきた。16:00。

日名子との待ち合わせが17時なので2階のサービスビューローへ行き列車のチケットとバウチャーをもらうが移動のバウチャーが無いらしく、なんだかんだあったが結局バウチャーのコピーを見せたりして交渉したらOKらしい。むこうのおっちゃん謝っていた。その後新潟空港で見かけたヒゲのロシア人みたいな日本人と会いバウチャーについていろいろ尋ねたがまぁ大丈夫とのこと。下へおりていくとロビーで日名子が寝ていた。16:30ころ帰ってきたらしい。日名子も中央公園へ行ったそうだ。17:20〜バーでソーク&ヴォトカを飲む。日名子は相変わらずコーヒーなどを飲んでおり私を変な目で見る。(日名子氏といろいろ話す)バーでなんだかんだしていたら時間がなくなってしまい夕食は食えなくなってしまった。19:20にはホテルを出て外でタクシーを待っていると25分には来たのでマヤファミリアヒナゴ!というとOK!駅まで5分もかからない。1R。来るときは1時間もかかったのだ。実はこのタクシー朝のうちに予約しておいたのだがそのときに移動のバウチャーを渡してしまい、それがどこかへしまわれてしまい、さっきのトラブルになってしまったというわけです。

列車は予定通り19:50にホームに入ってきた。10号車の23、24でこの前とほとんど同じような席である。同じコンパートメントになった人は夫婦のような感じで荷物をいっぱい抱えてやってきた。モンゴリスキーとかいうから最初はモンゴル人かと思っていたがキエフの人らしくモンゴルのウランバートルで働いて、今キエフへ帰るところらしい。食堂車で夕食を食べる。ここのおっちゃんが早速のどをたたいてヴォトカヴォトカとか言ってくるが残念なことに私たちは今回酒類は持ち込んできていないのだ。大失敗であった。

部屋へ戻ってきてこのキエフの夫婦と話をする。女の人はナターシャさんだ。またナターシャさんである。会話はロシア語だがほとんど身振り手振り、その他キーワードは辞書を使って分かった。いろいろロシア語を教えてもらった。こちらも日本語のあいうえおを教えたら子音と母音が1つになっているのに驚いていた。その後デッキで男の人とタバコの交換をしたりして、イルクーツク時間の10:30ごろ寝た。


(補足)
朝食を食べる前に手紙を出した。

 

 
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