クレムリン |
3:00起床。まっくら。夜中であるが起きてしまう。すぐに風呂に入る。なんと床には水が溜まっている。日名子氏のしわざだ。何をやっとんのじゃあいつは!
再びトロイツカヤ塔から突入である。人がいっぱいいて中はまるで小さな町である。すぐ右側に大会宮殿があってまっすぐ進み、大砲の王様で写真を撮り、ソボルナヤ広場に入る。 |
大砲の王様
当時世界最大の口径を誇った大砲。口径890mm、重さ40t。
しかし1度も発射されたことは無かった。
次はウスペンスキー寺院である。ここはシャンデリアが見事で、絵画があった。なんだか椅子みたいなものがあったが後で調べてみたらこれはイワン雷帝の玉座だそうだ。ここは皇帝の戴冠式が行われたところらしい。そこから鐘の王様を見てクレムリン劇場の前の広場を通ってトロイツカヤ塔の前に来て大会宮殿の向かいの宮殿兵器庫に入ろうとするがどうも入れないらしい。これでクレムリン見学は終了し、トロイツカヤ塔から外へ出てキオスクでコーヒーか何かを飲もうとする。バッジ屋があったのでここでバッジを買っているとロシア人青年3人登場。物々交換交渉の始まり。日名子は手袋をあげてしまったが、軍隊帽子とバッジをもらっていた。私は軍服が欲しかったのだがあげるものが何もないのでやめた。 |
ウスペンスキー寺院
ロシア皇帝の戴冠式が行われたところである。
鐘の王様
高さ6m、重さ200t 世界最大の鐘。
鋳造中に火災が発生し、火を消すために水をかけてしまい一部がかけ落ちてしまった。
このかけらだけで11トンもある。
この鐘の音を聞いた人はだれもいない。
無名戦士の墓の所でロシア人の警官らしき人に日名子はつかまり、あのでかいバッジはつけてはいけない!といわれたらしくすぐにはずした。そしてインツーリストホテルに昼食を食べに戻ってくる。また2Fのバイキングである。4ルーブルも取られ、あまりたいしたものは食えなかった。 14時に部屋に戻ってきて私がロングディスタンスコールを申し込む。14:40ころに通じて家族の皆さんとお話する。富川と榎田氏は2人とも合格したらしい。大和は車を乗りまわしているし、まあみんな生きているのでいいだろう。 15時にまたホテルを出る。ゴーリキー通りを北西にどんどん歩く。ソビエト広場に出てそこからプーシキン広場に来る。ここでイズベスチア新聞社の写真を撮り、マヤコフスキー広場へと向かう。途中またもやすってんころりでひっくりかえる。カメラは大丈夫だった。更に歩き、途中おもちゃ屋やいろんな店に入りながらベルロシア広場に至る。ここでマドンナのバッジを買って日名子に写真を撮ってもらいメトロに乗る。が乗り間違えてマヤコフスキー広場へ戻ってきてしまう。またベルロシアへ戻りここから南へ向かう。2つ目のキエフスカヤで降りてボロディノ橋を渡り、アルバート通りへと向かう。途中小便がしたくなったのでみんなが泊まっていたベルグラードホテルで小便して外国貿易省から道を間違えてチャイコフスキー通りへ行ってしまう。ここでアイスクリームを食べ、カリーニン通りとの交差のアルバートレストランへ来て間違いに気づく。反対側の歩道をまた戻り、アルバート通りへ入る。なんだかここの通りはちょっと雰囲気が違う。ソ連にいることを忘れてしまいそうだ。ヴァイオリンとギターでビートルズの曲を演奏している人がいて日名子は夢中になっ聞いていた。照明がやたらと明るく変な人達が騒いでいる。。。。 そこからアルバート広場に出てカリーニン通りを西へ向かう。もう真っ暗になってきた左側はずーっとデパートやらレストランででかい建物がつながっていた。我々の目的地であるレストランアルバートに着いたのだがやっていない。しかたなく帰る。またチャイコフスキー通りを南下し、スモーレンスカヤからメトロに乗り、赤の広場の前まで来る。また赤の広場へ行き、夜景の写真を撮ってホテルに戻ってくる。19:30 |
夜のクレムリンと赤の広場
夕食を食べに行くが、また2Fである。さんざん待たされて私は眠いし、ステーキ1個食べるのに1時間半もかかり、コーヒーはキャンセルして部屋に戻る。〜22時風呂に入って寝る。
|