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クレムリン


<12日目>1989年2月20日(月)

3:00起床。まっくら。夜中であるが起きてしまう。すぐに風呂に入る。なんと床には水が溜まっている。日名子氏のしわざだ。何をやっとんのじゃあいつは!
3:30には出てきて日記を書き始める。イルクーツクから3日分である。途中4:40待望のクソが出た。しかしこの部屋は水が流れないのだ。シャワーで水を汲んで流す。再び書く。。。。
現在6時。まだ外は暗いが3時ころからずっと車は走っている。7:30日名子氏起床。8:00近くなったのでホテルカードを持って1Fへ朝食を探しに行く。フロントで聞いたら2Fだそうだ。バイキング形式である。うれしいことにトマトジュースはあるし、ソーセージはあるし食えるものばかりだ。2人で朝食のすばらしさに感動する。やはりインツーリストはモスクワで第一級のホテルだ。
部屋へ戻り、8:45から日名子がLong disrance callを申し込む。30分くらい待っても通じないのでもう一度申し込んだらすぐに通じたがなんと間違い電話で堀井さんという人の家にかけてしまったらしい。日名子は何をやっとるんじゃい。自分の家の電話番号を間違えてしまったのだ。また申し込みしなおしである。しかしなかなか通じない。10時になったのでもう出発してしまおうと出かけようとすると電話が鳴った。どうやら通じたようだ。日名子は大喜びだ。なんせ9時ころは緊張していたから。。
10時にホテルを出る。10月革命50周年広場のメトロの駅(マルクサ)の地下道を通って(途中地下道内でヘビと女性のヌード写真発見)、赤の広場へ行く。雪が降っていて風が強くあまり写真は期待できそうにない。レーニン廟の前へ行き、兵士2人を見る。本当に人形みたいに動かない。
そこからアレクサンドロフスキー公園へ行き、トロイツカヤ塔からクレムリンへ突入を試みるが私は手荷物検査で引っかかってしまい駄目。下の手荷物預け場所へ行き、カメラ以外のすべてを預けた。

再びトロイツカヤ塔から突入である。人がいっぱいいて中はまるで小さな町である。すぐ右側に大会宮殿があってまっすぐ進み、大砲の王様で写真を撮り、ソボルナヤ広場に入る。
そしてブラゴヴェシチェンスキー寺院に入ろうとするがおばさんが中へ入れてくれない。どうもキオスクでチケットを買ってこないといけないらしい。しょーがないからいったんボロヴィツカヤ塔から外へ出てキオスクの場所を聞き、アレクサンドロフスキー公園をまたトロイツカヤ塔の近くまで来てキオスク発見!ここでチケットを買う。そして再びボロヴィツカヤ塔からクレムリンの中に入る。そしてやっとブラゴヴェシチェンスキー寺院(受胎告知寺院)に入ることができた。中はあまり大きくなく絵画があった。ここを出て向かいのアルハンゲリスキー寺院に私は先に行く。入口であのイルクーツクで一緒だった京都の女の人と会う。彼女はあれからヤロスラブリに行ってきのう列車でモスクワ入りしたらしい。我らと同じ列車だったのだ。どうもチケットをもっていないらしく我々が少々分けてあげた。そして我らはアルハンゲリスキー寺院に入る。ここは歴代の皇帝や貴族の遺体安置所でおばちゃんにいろいろ聞いてみたらピョートル1世の兄や、イワン4世の兄弟の墓とからしい。

 

大砲の王様
当時世界最大の口径を誇った大砲。口径890mm、重さ40t。
しかし1度も発射されたことは無かった。

次はウスペンスキー寺院である。ここはシャンデリアが見事で、絵画があった。なんだか椅子みたいなものがあったが後で調べてみたらこれはイワン雷帝の玉座だそうだ。ここは皇帝の戴冠式が行われたところらしい。そこから鐘の王様を見てクレムリン劇場の前の広場を通ってトロイツカヤ塔の前に来て大会宮殿の向かいの宮殿兵器庫に入ろうとするがどうも入れないらしい。これでクレムリン見学は終了し、トロイツカヤ塔から外へ出てキオスクでコーヒーか何かを飲もうとする。バッジ屋があったのでここでバッジを買っているとロシア人青年3人登場。物々交換交渉の始まり。日名子は手袋をあげてしまったが、軍隊帽子とバッジをもらっていた。私は軍服が欲しかったのだがあげるものが何もないのでやめた。

ウスペンスキー寺院
ロシア皇帝の戴冠式が行われたところである。


鐘の王様

高さ6m、重さ200t 世界最大の鐘。
鋳造中に火災が発生し、火を消すために水をかけてしまい一部がかけ落ちてしまった。
このかけらだけで11トンもある。
この鐘の音を聞いた人はだれもいない。

無名戦士の墓の所でロシア人の警官らしき人に日名子はつかまり、あのでかいバッジはつけてはいけない!といわれたらしくすぐにはずした。そしてインツーリストホテルに昼食を食べに戻ってくる。また2Fのバイキングである。4ルーブルも取られ、あまりたいしたものは食えなかった。

14時に部屋に戻ってきて私がロングディスタンスコールを申し込む。14:40ころに通じて家族の皆さんとお話する。富川と榎田氏は2人とも合格したらしい。大和は車を乗りまわしているし、まあみんな生きているのでいいだろう。

15時にまたホテルを出る。ゴーリキー通りを北西にどんどん歩く。ソビエト広場に出てそこからプーシキン広場に来る。ここでイズベスチア新聞社の写真を撮り、マヤコフスキー広場へと向かう。途中またもやすってんころりでひっくりかえる。カメラは大丈夫だった。更に歩き、途中おもちゃ屋やいろんな店に入りながらベルロシア広場に至る。ここでマドンナのバッジを買って日名子に写真を撮ってもらいメトロに乗る。が乗り間違えてマヤコフスキー広場へ戻ってきてしまう。またベルロシアへ戻りここから南へ向かう。2つ目のキエフスカヤで降りてボロディノ橋を渡り、アルバート通りへと向かう。途中小便がしたくなったのでみんなが泊まっていたベルグラードホテルで小便して外国貿易省から道を間違えてチャイコフスキー通りへ行ってしまう。ここでアイスクリームを食べ、カリーニン通りとの交差のアルバートレストランへ来て間違いに気づく。反対側の歩道をまた戻り、アルバート通りへ入る。なんだかここの通りはちょっと雰囲気が違う。ソ連にいることを忘れてしまいそうだ。ヴァイオリンとギターでビートルズの曲を演奏している人がいて日名子は夢中になっ聞いていた。照明がやたらと明るく変な人達が騒いでいる。。。。

そこからアルバート広場に出てカリーニン通りを西へ向かう。もう真っ暗になってきた左側はずーっとデパートやらレストランででかい建物がつながっていた。我々の目的地であるレストランアルバートに着いたのだがやっていない。しかたなく帰る。またチャイコフスキー通りを南下し、スモーレンスカヤからメトロに乗り、赤の広場の前まで来る。また赤の広場へ行き、夜景の写真を撮ってホテルに戻ってくる。19:30

夜のクレムリンと赤の広場

夕食を食べに行くが、また2Fである。さんざん待たされて私は眠いし、ステーキ1個食べるのに1時間半もかかり、コーヒーはキャンセルして部屋に戻る。〜22時風呂に入って寝る。

 

 
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