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最大の不覚?

<10日目>1989年2月18日(土)

モスクワ時間午前3:00(現地時間6:00)起床。なんだかライターがなくなっている。昨日ポケットに入れっぱなしで寝てしまったので落ちてしまったのだろう。コマッタ! 昨日日名子氏は弱音をはいたが私は絶好調である。ただクソが出ない!食べたものはどこへ行ってしまったのだろう。小便は良く出るのだが。。。。
4:07オムスク着。ホームに降りると、OMCKの文字が光ってきれいだったので女車掌さんに写真を撮ってもいいかと聞くとOKだ。早速カメラを取りにいく。三脚をおっ立ててセットする。みんなジロジロ見る。いつも間にやら撮れていたいたらしくシャッターがきれていた。帽子や手袋がいらない。息は相変わらず真っ白だが。。。

オムスク駅。イルクーツクから37時間

本当にイルクーツクは寒すぎたのだ。しかしカメラはちゃんと作動したしもう大丈夫だろう。まだ暗い。その後食堂車へ行く(現地時間8:30)がまだやっていなかった。部屋へ戻ってきてパンとチーズをご馳走になった。6:00(モスクワ時間)にナジバーエフスカヤ停車、日名子と降りてタバコを吸う。窓をちり紙で拭く。その後また西洋碁をやっているので私たちも将棋をやる。私の勝ち!西洋碁はどうもナターシャさんの方が強いらしい。この男の人はコメディアンみたいな人でおもしろい。

〜昼寝〜

10:00チュメニ着。日名子とおじさんが食い物を買ってくる。また昼食をご馳走になってしまう。私は先ほど2000円もするサラミのお化けを食べるがアブラが多くてうんざりする。食堂車へ行こうとするが混んでいて入れないらしく帰ってくる。日名子はまた寝てしまった。ナターシャさんがポルノカレンダーを見せてくれたがどうも取られてしまったらしい。ソ連でもやはりこういうものはあるのだ!

12:40〜再び食堂車へ行く。一人で昼食を食べる。食堂車から帰ってきてまた西洋碁である。おじさんvs日名子の日ソ親善碁大会である。私は未だにクソがでない。食堂車に行こうと誘われたが私はさっき行ったばかりである。がどうもこれが通じなくて行くことになってしまった。が休憩時間か何かで入れずに4人は部屋に帰ってきた。
3:00スベルドロフスク停車。私はナターシャさんと写真を撮る。日名子はわけのわからない隣の列車の車掌を見つけてきて写真を撮ってくれというので撮ってやった。

その後ふたたび食堂車にチャレンジである。行く途中、オデッサのおじさんとまた会い、マイルドセブン1箱あげた。食堂車では隣の席のおっちゃんにモンゴル人に間違えられたがモンゴル人ということにしておいて握手した。食堂車にいる間、ちょうどヨーロッパとアジアの境の塔を見ることができた。3:40ヨーロッパ突入である。

帰ってきてトランプをする。またあの良く分からないロシア式トランプをやったが私はおもしろくないのでババ抜きを提案する。ナターシャさん夫婦はすぐに覚えてなかなかおもしろそうだった。〜6:00

デッキへ行ってタバコを吸っているとロシア青年が来たのでタバコをあげた。そしたらコスモスをくれた。(私はマールボロをあげた)
20時前には寝てしまった。ペルミに停車していたのは覚えていたのだが。。。夜中トイレに行ったらあの女車掌さんはヒーターの掃除をしていた。あの人はいったいいつ寝ているのだろう。よく働く人だ。

 

 
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