<初日>1988年7月21日(木) 最高気温32℃ 曇
午前11時に家を出る。京葉道路、東関道ともに順調な流れで1時間後の12時に成田空港到着。空港の駐車場へ入るのに空港を2周もしてしまう。その後母とともに搭乗手続きの場所を確かめてからレストランでカレーを食いつつ飛行機を見る。
12時40分頃には食い終ってすぐに手続きを開始する。荷物を預けた後チェックインカウンターでイランの人に話しかけられた(日本語で)「すいません日本の方ですか?イランへ行くのですか?」。私以外はみんなイラン人もしくは中国人しか見あたらない。イランの人達はでっかい段ボールをいっぱい持ってイランへ行くようだ。テレビ、ラジカセ・・・・
2時30分には飛行機に乗り離陸を待つがなかなか出発しない。2時55分離陸予定だったが、3時30分に遅れる。席は前から7番目で隣はいなかったので楽に座れた。飛行機内には空席があったが、イランの人達はすぐにそこに寝ようとする。スチュワーデスに注意されるのだが懲りないらしい。また煙草を吸う人が全くいない。しかし私は朝買った煙草を機内で1箱吸ってしまう。4時30分頃メシの時間で、パン、ペプシ、御飯&肉、サラダ、コーヒーを食べる。また6時頃後ろの方で床に新聞紙を敷いて拝礼しているイラン人がいた。イランはいま戦争中なので飛行機に乗るまでに色々荷物を検査された。
7時10分に北京に到着、外へ出ると蒸し暑い。日本が涼しすぎるのだ。入国手続きをして荷物を受け取った後、税関を通過しようとするが、ここでまた荷物の検査を受ける。個人旅行者には厳しいらしい。
外へ出てどうやってホテルまで行こうかと迷うが、結局タクシーを使うことにした。「ツァイナー」と声をかけられ、「燕翔飯店」と紙に書いたら通じた。
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