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愛知県新城市

柳田前激戦地

2014年08月16日


「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

かるたでつづる設楽原古戦場によれば、合戦当時連吾川周辺は水田や泥深い沼田であり既に田植えが終わっており一面は水がたたえられていたはずとのことでした。
武田軍の陣地から坂を降ってきて織田・徳川連合軍の陣地に向って突進していく途中、馬も人もこのぬかるみに足をとられてしまい、敵の鉄砲隊の格好の餌食になってしまったのでしょう。

連吾川



2006年05月05日

歴史資料館から西に向って坂を下り、甘利郷左衛門尉信康之碑を越えて少し行くと連吾川にかかる橋がありますが、その橋のたもとに柳田前激戦地という石碑が建っています。その石碑の横には設楽原古戦場いろはかるたの看板があって、「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」と記されている看板もあります。
かるたでつづる設楽原古戦場によれば、合戦当時連吾川周辺は水田や泥深い沼田であり既に田植えが終わっており一面は水がたたえられていたはずとのことでした。
武田軍の陣地から坂を降ってきて織田・徳川連合軍の陣地に向って突進していく途中、馬も人もこのぬかるみに足をとられてしまい、敵の鉄砲隊の格好の餌食になってしまったのでしょう。

 



2003年10月12日



「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

武田軍と、織田・徳川連合軍の最前線の間に流れていたのが連吾川という川です。武田の騎馬隊が突進していきますがこの連吾川に阻まれているところを鉄砲で撃たれたイメージがありますが、実際に見てみると頑張れば馬でも飛び越えられそうな川でした。その連吾川にかかっている橋のところに柳田前激戦地の石碑がありました。

連吾川

 
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