岐阜県恵那市
元亀3(1573)年12月、武田信玄が甲信兵約3千人をもって岩村城を攻略するため、根羽方面より侵攻した。 これに対して明智、苗木、飯羽、串原を主力として、足助、名倉、武節など東三地方の連合軍約5千人が上村を中心に迎撃したが、武田方の智将秋山晴近の機略と甲信の戦力の前に東三連合軍は敗れた。 総帥遠山景行は向井戸砦に壕って苦戦したが、5、6騎残したのみだったので血路を開いて落ち、この地にて自刃した。 尚、この下方近くに将兵の渇きを癒した一杯清水の旧跡がある。 (看板資料より)