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広島市

正伝寺


2009年08月12日

正伝寺由来
当寺の開基は今日より約1000年の昔、985年です。七高僧の一人、源信和尚の高弟恵空は阿弥陀如来の大悲を衆生に伝えんがために比叡山を下り、全国各地を旅した末に武田山北麓の山腹に草庵を結び念仏の道場としました。当寺はまだ法然上人も親鸞上人もお生まれになっておらず宗派こそ八宗兼学でありましたが、信仰の中心は阿弥陀如来であり、寺号も阿弥陀寺と申していました。これが正伝寺の開基です。その後約300年間八宗兼学の道場として、ある時は盛んに
またある時はほそぼそと武田山山中に念仏の声を響かせ続けてきたのです。
鎌倉時代に入りますと浄土信仰が盛んとなり、全国各地に幾多の高僧が輩出しました。特に西日本では四国でお生まれになった一遍上人の影響が強く、阿弥陀寺もその門に入って時宗に改宗し、寺号も光賢寺としました。1278年のことです。あわせて当時の安芸の国守護銀山城主武田信宗の菩提所となり、以降250年間安芸国守護の保護のもと、時宗寺院として念仏宣布を継続していきました。以下省略。
(正伝寺で頂いた資料より)


本堂正面の唐戸

お寺の方が対応してくれました。武田山を中心にしてちょうど立専寺の反対側に位置するとのことです。本堂正面の唐戸に武田菱があることも教えてくれました。また、長楽寺の鐘に似たような話が伝わっているとのことでした。即ち、武田氏は周辺の民衆に、もし毛利軍が攻めて来たら正伝寺の鐘を鳴らすように伝えていたのにもかかわらず、鳴らされなかったために武田家が滅んだという伝説が伝わっているとのことでした。


広島県天然記念物
正伝寺のクロガネモチ

クロガネモチは関西以西から台湾・中国の暖地に分布する雌雄異株の常緑広葉樹で樹高10m、胸高幹囲1.50mにもなれば巨樹と呼ばれている。
これからしても正伝寺のクロガネモチは広島県内はもとより全国屈指の巨樹といえる。この樹の樹齢ははっきりしないが、豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した時(16世紀末)従軍していた福島正則が持ち帰った苗木を植えたものと言い伝えられている。また4代藩主浅野綱長(治世1673-1708)の写生画がこの寺に保存されており、その中にはクロガネモチも描かれている。
周囲を圧するばかりにそびえたつこの巨樹の姿は、長年の風雪や病害虫に耐えて生きのびてきた生命力の偉大さと、この地域の人達の生活を見守り続けてきた歴史の生き証人であることを、あらためて感じさせてくれる。
(看板資料より)

 

 
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