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佐久穂町

下畑城

2009年05月05日

町指定文化財 下畑城跡
下畑部落の西方、南北に連なる段丘崖上にある。南端の堀切は現在中畑から大久保に通ずる道路敷になっている。ここから北方に向って尾根を数条の深い堀切によって横に断ち切り、三つの郭を構築している。第3郭の北端には土居を構築し、深い堀切を設け北方の防御としている。
第1郭の東側には幅約8メートルの帯曲輪がある。現在耕地になっているが、原形がよく保存されている。
天文9年5月、武田信虎が大挙佐久郡に侵攻したとき、妙法寺記に「小山田殿の代として小林宮内助殿も一城を構え」とあるのがこの城であるとされている。
東は千曲川に沿う低地と、西は北八ヶ岳山麓台地上として重要な位置を占めていた。城の周辺には、城下、腰巻、大庭、屋敷添、西家浦、南海道、内屋敷等の地名がある。
(看板資料より)

佐久郡小宮山から甲斐に移って武田氏に臣従した小宮山丹後守が武田信玄からこの一城を与えられたと伝えられているが、「妙法寺記」に、天文9(1540)年、海尻城の守将小山田備中守の陣代小林宮内助が佐久に一城を築いたとあるのを根拠に、その一城が下畑城であり、小宮山丹後守は後に入城したとする説もある。
(日本城郭大系より)

下畑城は城山団地に行けば案内などがあるはずという話を聞き城山団地に行きました。しばらく周辺を見てまわりましたが何も発見できませんでした。城跡自体はこの裏山の細長い部分だと思うのですが歩くのは次回にしていたので今回は入口と案内看板を確認しておきたかったのです。農作業をしていた地元に人に聞いたら看板の場所を教えてくれました。諏訪神社を左側の方に行って中畑方面から大久保方面に坂を登りきったところに看板があって登山道の入口になっているとのことでした。行ってみたら確かに案内板がありました。

 

 
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