西敬寺 |
2012年11月18日 |
当寺の開基である下総の岩倉刑部親経は親鸞聖人が善光寺に参拝した際弟子となり釈善巧と称し、建長7(1255)年更埴市倉科に一寺を建立し西敬寺と称した。 |
聖徳太子像を見せてもらえないか聞いてみましたが、2月22日にだけ公開しているとのことでした。去年と違って雪はなく紅葉がきれいで素晴しかったです。 |
2011年12月29日 |
奥信濃と呼ぶ地方に浄土真宗の寺が多く残っているのは親鸞聖人が越後に配流され、その後常陸の国におもむく間、この間に奥信濃や善光寺、戸隠を巡歴したことによります。境内には太子堂があり、聖徳太子孝養像が安置されています。この太子像には武田信玄に関する伝説が秘められています。川中島合戦の時、武田信玄が東方から一条の光が差し出ているのを見とどけ、その光が西敬寺の太子堂からものであることを知り、この太子堂に深く帰依しました。その功徳なのか像に残る傷はしばしば信玄の身代わり役を演じたためといわれています。現在でも太子像は熱心な信仰を集め、毎月22日に太子講が営まれています。 年末の忙しい中、お寺のご住職に対応してもらいました。太子堂は残念ながら雪に埋もれており太子堂の中の太子像を見ることはできませんでした。毎月22日に太子堂を明けるとのことなので、雪のない季節の22日に訪れたいと思いました。
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