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山梨県身延町

大島の古戦場

2010年03月22日

ここは大永元(1521)年今川の将福島正成が侵入し、武田勢と戦った所と伝え、戦死者の供養塔という五輪塔一基が残る。
(山梨県の武田氏伝説より)

個人の土地であるとのことで今回特別に許可をもらって撮影させて頂きました。

時は大永元年(1521)2月28日、今川の将遠州(静岡県)高天神の城主福島兵庫頭正成は、駿遠の兵15,000を率いて、甲州河内に襲来し、9月6日武田勢と大島において激戦数合、遂に武田勢を打ち破り、下山、十日市場を経て軍を甲府に進めたが、10月6日飯田河原で、また11月23日上条河原で大敗し、福島一類をはじめ四千余人討死し、残衆翌2年正月14日身命を乞って帰国したと、塩山向岳寺第九十五世天真源和尚の手記や、妙法寺記に記されている。
 上大島の地を訪ねると、その戦に討死したつわものどもの霊を慰めんと、ゆかりの人の建てたと思われる五輪塔がその昔を語るように今尚残っているが、年を経ていつしか忘れられ、弔うものもなく、塔の文字も読みがたく、ただ桑畑の中に寂しく立っている。
 この戦に今川方に味方した波木井三河守義実は、大永7年(1527)武田信虎に峯の域で攻め殺されたと伝えられている。
  昭和44年9月12日町指定
(身延町誌より)

 

 
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