真田信之供養塔と高源寺跡
(左)笠塔婆 大鋒院(真田信之)供養塔
万治元(1658)年建立
(右)宝篋印塔 高源院(真田大学)二百回忌供養塔
天保15(1844)年建立
この供養塔は、ここに明治初年まであった清涼山高源寺の境内上方山腹にあったものを平成9年ここに移し旧態に復したものです。
高源寺は承応2(1653)年松代初代藩主真田信之の二女見樹院が、この地にあった西迎寺(西光寺)を再興新築して高源寺と改めました。見樹院は甥の大学(2代藩主真田信政3男)の菩提を弔うために建立したもので、その法名を寺の名としたものです。
見樹院は、寛文13(1673)年79歳で没し、母大蓮院の菩提寺である松代町の大英寺に葬られました。
(石碑記載文章より)
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