長沼城 |
2016年04月30日 |
本郭(主郭)
長沼城は千曲川左岸の自然堤防上に発達した集落、長沼にある平城である。文献上では至徳4(1387)年に島津太郎国忠が「長沼太郎」として記されているのが長沼の初見である。以降の室町時代には、島津常忠-信忠-清忠が長沼郷の領有者として史料に見え、隣郷の赤沼にも島津忠国-朝国らの存在が確認されている。 |
川中島合戦の舞台ともなった長沼城 |
長沼城復元図
この図は江戸中期、廃城となる前(1680年頃)の長沼城を数枚の古城図や剣地帳、地籍図を元に現地調査を行い、想定し作成した図である。城域は南北約650m、東西約500mにおよび、約34ヘクタールの面積となる。北端は?笑寺の南、南端は貞心寺の南まで、西端は家並みを通る県道より130mほど西、東端は堤防より約150m東である。
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長沼城址 |
今回の史跡探索の主要な目的地のひとつであったのがこの長沼城でした。長沼城の場所と思われる付近を目的地にして現地に向いましたがなかなか場所が分からず軽トラのおじちゃんに場所を聞きました。それによると千曲川の土手沿いの道を北上していくと左側にたくさん木があるのですぐに分かるとのことでした。土手の道に出て北上していきましたがなかなか見つけることができませんでした。あきらめかけていた時にこれで最後にしようと思いながら土手から下って木の下にある塔や大きな石があるところに行ってみたらなんと長沼城跡と書かれた石を発見しました。なんとか長沼城跡を見つけることができました。
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