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愛知県新城市

文殊山城

2014年03月29日

この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570〜1572)に武田氏との和睦の証として、塞之神城とともに築く予定であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので一夜城とも言う。
中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台石には「西須山村東市場村」と刻まれており当時村界であったことが分かる。その右に宝篋印塔左手に足助町有志が奉納した笠付の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であったことを示している。又この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月25日、唱え真言「おん・あらはしゃ・のう」合掌
(看板資料より)

亀山城主奥平氏の砦城で、元亀元(1570〜1572)年に武田氏との和睦の証として築くはずであった。しかし延引したために武田氏より強談に合い、一夜にして築いたので一夜城とも呼ばれ、知恵の文殊菩薩が鎮座する。物見やぐら(7m)に登れば、亀山城址や本宮山をはじめ、周辺集落が一望できる眺望は必見。
(パンフレット資料より)

物見やぐら



2005年02月11日

この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570〜1572)に武田氏との和睦の証として、塞之神城とともに築く予定であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので一夜城とも言う。
中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台石には「西須山村東市場村」と刻まれており当時村界であったことが分かる。その右に宝篋印塔左手に足助町有志が奉納した笠付の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であったことを示している。又この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月25日、唱え真言「おん・あらはしゃ・のう」合掌
(看板資料より)

物見やぐら

亀山城主奥平氏の砦城で、元亀元(1570〜1572)年に武田氏との和睦の証として築くはずであった。しかし延引したために武田氏より強談に合い、一夜にして築いたので一夜城とも呼ばれ、知恵の文殊菩薩が鎮座する。物見やぐら(7m)に登れば、亀山城址や本宮山をはじめ、周辺集落が一望できる眺望は必見。
(パンフレット資料より)

作手の役場から西方の山の中に向って行くとすぐに案内が出てきますが、徒歩を前提としているような案内でした。私は車で行きましたが問題なく行くことができました。途中から舗装道路ではなくなり、その道が行き止まりになったところが文殊山城です。左側に物見やぐらが見えるのですぐに分かると思います。更に徒歩で塞之神城址にいかれるとのことでしたが少し距離がありそうだったので私は行きませんでした。

 
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