長野県岡谷市
峰畑城は本格的な山城ではなく、城主の居館に接続する土地の一部を城として築いたもので、戦国時代にはこのような城塞を「掻き上げ」とか「砦」といった 。主郭は御社宮司社の道を挟んで向かい側、天竜川を見下す高台にある。城主は「諏訪五十騎」の一人、地頭駒沢新右衛門であった。城の遺構としては一条の 空堀を残しているだけである。 この居館跡は、構築のために積まれた野面積の石垣数ヶ所と、深さ13メートルもあるといわれる堀井戸がわずかにその痕跡を残すのみである。 (看板資料より)
この日は早朝の気温が-12℃まで下がりました。川岸駅前の案内板で峰畑城及び峰畑城居館跡に関する情報を確認してから現地を訪問しました。 先に峰畑城居館跡の案内杭を発見しました。その後峰畑城の付近で地元の方に詳しい話を聞かせてもらい、居館跡には石垣も残っているとのことで再度訪れて石垣の写真を撮りました。
→峰畑城