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長野県小海町

松原諏訪神社


2015年06月28日

この鐘は、弘安2(1279)年信州佐久郡大井荘(庄)落合の新善光寺に大井荘(庄)地頭源朝臣大井光長が寄進したもので、大和国下田村鋳物師伴長の作で、長野県最古の在銘梵鐘である。池の間の飛天の陽刻は鎌倉期の梵鐘では全国2例だけで、上帯には雲の文様、下帯には流水文を陽刻、乳は宝珠形で4段4列に配置され、62個ある。銘文は池の間に92文字、駒の爪下面に60文字が陰刻され、本鐘と落合新善光寺の一光三尊金銅仏の成立の由来が記されている。
この鐘はもと落合新善光寺の鐘であったがのちに落合慈寿寺に伝わり、戦国時代武田軍が佐久に侵入したときに奪ってきて松原諏訪神社に寄進したものである。この鐘を屋根の下におくと、火事の難に遭うというところから、野ざらしにされ、以来「野ざらしの鐘」と称されている。
昭和36年2月7日 国重要文化財指定
(看板資料より)


 



2004年04月03日

武田信玄は何度か松原諏訪神社に戦勝祈願の願文をおさめています。その中でも永禄2(1559)年の願文では初めて「信玄」の署名が確認されています。翌永禄3(1560)年には奥信濃の攻略成功の祈願を行って翌永禄4(1561)年の第4次川中島合戦にのぞみ、同じ年の秋には上野出兵の戦勝祈願を行ってその後すぐに国峰城を攻略しています。


松原諏訪神社の梵鐘(野ざらしの鐘)

この鐘は、弘安2(1279)年信州佐久郡大井荘(庄)落合の新善光寺に大井荘(庄)地頭源朝臣大井光長が寄進したもので、大和国下田村鋳物師伴長の作で、長野県最古の在銘梵鐘である。池の間の飛天の陽刻は鎌倉期の梵鐘では全国2例だけで、上帯には雲の文様、下帯には流水文を陽刻、乳は宝珠形で4段4列に配置され、62個ある。銘文は池の間に92文字、駒の爪下面に60文字が陰刻され、本鐘と落合新善光寺の一光三尊金銅仏の成立の由来が記されている。
この鐘はもと落合新善光寺の鐘であったがのちに落合慈寿寺に伝わり、戦国時代武田軍が佐久に侵入したときに奪ってきて松原諏訪神社に寄進したものである。この鐘を屋根の下におくと、火事の難に遭うというところから、野ざらしにされ、以来「野ざらしの鐘」と称されている。
昭和36年2月7日 国重要文化財指定
(看板資料より)


松原諏訪神社は松原湖畔にあり、本殿の鳥居のところから少し下るとすぐに湖に出ることができます。野ざらしの鐘は現在は野ざらしにはなっておらず上の写真のように屋根が覆っており台の上に設置されていました。戦国時代に移動させられている鐘は今まで他にもいくつかありましたが、当時の戦国大名には戦利品としてよろこばれていたのでしょうか?

 

 
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