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長野県南相木村

常源寺

2008年09月24日

戦国時代、天文19(1550)年開基。相木城主相木市兵衛常喜が、父依田因幡守常栄の菩提供養のために開創され、福井県の永平寺、鶴見の総持寺を大本山とする曹洞宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩。佐久の古刹の寺として伝統と歴史を誇っている。
明治37年大火にあい七堂伽藍を焼失。以来約80年を経て檀信徒の悲願がかない現在の堂宇の建立。往時を偲ばせる古文書、長刀(ナギナタ)、槍(ヤリ)、軍配団扇(ウチワ)など数点が寺宝館に納めてある。
(看板資料より)

本堂

最初に訪れたのは南相木村の常源寺です。ここは去年のNHK大河ドラマ風林火山で一躍有名になった相木市兵衛開基のお寺であり、また相木市兵衛の木造や軍配団扇などもあるとのことだったので楽しみにしていました。朝8時前には現地に到着しました。お寺の少し手前の公民館にお寺と共用と思われる駐車場があったのでそこに車を止めて歩いて行きました。何度か呼び鈴を押してみたのですが誰も出てこられなかったのであきらめかけていたところで住職と思われる方が出てきてくれました。以前は天台宗のお寺でお寺の向かいに見えるところにあったが戦国時代に今の場所に移ってきたのだそうです。


寺宝館

その後ご夫人に案内されて寺宝館を開けて案内してもらいました。写真撮影も可能とのことで写真を撮らせてもらいました。お話によればNHKのディレクターが来た時に、武田の家臣で木造が残っているのは珍しいという話を聞いたとのことでした。軍配は本物であろうというお話も聞きました。

当寺開基 相木市兵衛常喜

相木氏の軍配団扇


長刀

壽命は濃州の住人で壽命名の刀工は慶長年間から後代20代目を数えるに至る程の名刀工にして「護身壽命」とも伝えられる由緒ある業物として古今ともに高く評価されている名刀である。
当寺開基相木市兵衛常喜の妻が護寺、謹仏、護身のために武田家から贈られたものと推測される。
(説明資料より)


相木氏の陣中鏡


相木市兵衛常喜の供養塔

開山五百年ヲ期シ、開基様ノ足跡ヲ偲ビ、報恩感謝ノ誠ヲ捧ゲ、供養ノタメニ建立ス
(墓碑記載文章より)

寺宝館を出て裏側に登っていくと歴代住職の墓があり、また最近建立された相木市兵衛の墓碑もありました。大きな木があって印象的でした。
その後本堂に案内され、お線香をあげさせていただき参拝した後、奥の位牌が安置されている場所にも案内してもらいました。そしてお茶とお菓子をご馳走になりながら色々な資料を見せてもらいました。いつもはお話を聞く側なのに今回は私の話も聞いていただき大変楽しい時を過すことができました。

歴代住職の墓

柴辻俊六編武田信玄大辞典によると、人物で一番最初に出てくるのが相木常林で、「信濃先方衆で田口城主。騎馬80騎。岩村田大井氏の重臣依田氏の一族。永禄10(1567)年正月死去の能登守(法名常喜)の嫡子。譜代家老衆山県昌景の相備衆。嫡子市兵衛昌朝は山県昌景の娘婿となる。」と紹介されています。ようするに、
相木常喜(1567没)−常林−昌朝(山県昌景の娘婿)
となるとのことです。
また、常源寺で見せていただいた「相木市兵衛依田昌朝と武田信玄」によると、
相木昌朝(入道常喜)−常栄−常崇
となっていて、常喜の娘が真田昌輝の妻、常崇の妻は真田昌幸の娘と書かれていました。

 

 
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