家康と阿弥陀橋
今はむかし。
曳馬の村を流れる川に、阿弥陀橋という橋がかかっていました。今はその橋はみるべくもありませんが、昔あった阿弥陀橋には次のような話が伝えられています。
時は元亀3年12月、徳川と武田の大いくさの時のこと、徳川方はさんざんの負けいくさ、家康は家来たちと一緒に、ようやくこのあたりまでたどり着き、橋を渡ろうとしたところ、なんということでしょう。橋がかげもかたちもありません。
家康より先に様子を調べに行った家来達は、武田勢がこの橋を焼き払ったのだということを近くのお百姓から聞きました。
「ついさっきのことです。武田のやつらが、橋に火を放ったのです。これで家康も城に帰れなくなると、大笑いして引き上げて行きました。」
お百姓は悔しそうに言いました。
家来からその話を聞いた家康は、
「何、橋が焼き払われたと。無念だ。」
と地団駄踏んで悔しがりました。
後ろからは、武田勢が追いかけてきます。前には川、家康は立ち往生。
「もうこれまで。」
と、覚悟を決めた時、近くにある常楽寺から、ふわりと阿弥陀様が出てきて、橋の代りにこちらの岸からむこう岸へ体を横たえたではありませんか。
「おう、阿弥陀様が、ありがたいことだ。」
家康は思わず手をあわせ、阿弥陀様の橋を馬で渡り、無事に浜松城へ帰ることができたということです。
その後、この橋をあみだ橋と名付けました。今でも常楽寺の御本尊として祀る阿弥陀様の背中には、馬の蹄の形が残っているそうです。
(浜松の伝説より) |