一条右衛門太夫信竜屋敷跡 |
2007年10月28日 |
信虎の七男(実は八男)。信玄の異母弟。信竜は、甲斐源氏の名門一条氏の名跡を継ぎ、本拠地を上野城(市川三郷町)に置いたという。武田氏の一門衆(御親類衆)として、100騎を引率し、信濃の豪族青柳・与良・大津氏を指揮下に置いて活躍した。信竜は、いざ合戦に際して慌てぬように、常日ごろから、武具の手入れや更新を怠らなかった。また、諸国の浪人の中から、選抜した人材を召し抱えるよう、心懸けていた。そのため、信玄や家臣達から賞賛されたという。信玄の晩年には、大和国松永久秀らの大名との外交を担当し、息子信就とともに、所領の青柳(増穂町)に新宿を建設することにも尽力している。天正10(1582)年の武田氏滅亡の際には、本拠地上野城に籠城して徳川家康と戦い、信就とともに市川で処刑されたと伝わる。 |
一条右衛門太夫信竜
(?〜天正10年3月) |