円満寺 |
2014年05月02日 |
明治33(1900)年に書かれた寺伝によると、創立は康治2(1143)年平安時代で開祖は新義真言宗々祖興教大師とされています。その当時は現在の位置より南の大井城の辺りにあり、真言律宗無本寺という名で三重塔、子院が12坊あったと書かれています。仁治2(1241)年、甲斐源氏の一族で騎射として鎌倉でも有名であったとされる大井領主の源光長が大井城の東北に真光寺を建て、大井氏の祈願所としていたそうです。但しこの時建てられた真光寺と最初にあった無本寺との関係は寺伝に残されていないため明らかになっていません。 |
本堂
康治2(1143)年に創建されたという。昔は古城の艮(東北)の方角の字芝間にあった。大永年間兵火のために廃せられたが、紀伊国の僧雄伝なるものが再興のために止錫した。天文19(1550)年の戸石合戦の折、武田晴信が武運の加持を依頼し、雄伝は7日間勤行した。晴信はこれによって勝利を得ることができたとして再興を許し、旧地を与えた。このために後世武田氏の開基という。雄伝はついに一宇を再建した。永禄年間に寺を今の地に移して観音の宝閣を建てた。 |
石地蔵
2009年05月05日 |
康治2(1143)年に創建されたという。昔は古城の艮(東北)の方角の字芝間にあった。大永年間兵火のために廃せられたが、紀伊国の僧雄伝なるものが再興のために止錫した。天文19(1550)年の戸石合戦の折、武田晴信が武運の加持を依頼し、雄伝は7日間勤行した。晴信はこれによって勝利を得ることができたとして再興を許し、旧地を与えた。このために後世武田氏の開基という。雄伝はついに一宇を再建した。永禄年間に寺を今の地に移して観音の宝閣を建てた。 入口の左側へまわって駐車場に車を止めて境内を散策しましたが誰にも会えず、また何も無かったので詳しいことは分かりませんでした。
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