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フォレスターを選んだ理由


 

ノ口城への道を走れる車
アリストを盗難され、保険会社からもらった保険金で購入したのがチェイサーツアラーVでした。納車してすぐに四国に長期出張しなければならなくなりまた盗難される可能性もあったので納車されたばかりのチェイサーを四国に持っていくことにしました。四国での約2ヶ月間、今まで走ったことの無いような道を走る経験をし、私の探険心は育まれました。
関東に戻ってきてからも史跡探索はしていましたが、知り合いに海ノ口城へ連れて行ってもらったときにチェイサーは麓におき、RVRに乗り換えて更に進みましたがRVRは車の底をこすってしまい途中で断念せざるをえませんでした。この出来事は私の車に対する概念を変えた決定的な出来事でした。次に買う車はこの海ノ口城への道を走破できる車でなければならない!とこのとき決心したのでした。
その後フォレスターを購入し、2004年04月03日、PSアドバイザー氏とともに海ノ口城への道を走破し、私の夢は達成されたのでした。
こうして経緯を書いてみると、四国で芽生えた私の冒険心は、フォレスターを得たことにより、それまでの武田家の史跡探訪の世界を大きく膨らませることができたのだと実感しました。


こだわりその1:最低地上高
最低地上高というものがあることは知っていましたがどれくらいあればどういう道が走れるのかなど詳しいことは何も知りませんでした。ツアラーVでも150mmはあったし、それくらいあればとりあえず何とかなるのではないかという漠然としたイメージしかありませんでした。
そんな状態で1999年年12月19日、高知県馬路村から徳島県海南町へ向う林道をまだ納車したばかりの車で走ってしまったのです。
http://bushi.hp.infoseek.co.jp/991219-3.htm
結果的には底をこすることなく行って来れたので、ツアラーVでも問題は無かったのですが、当時を思い出すと冷や汗ものです。途中で何度も引き返したくなったのですがUターンをすることもできず、ガソリンも少なくなってきて、この先どれくらい走ればつくのか見当もつかず、おまけに夕方でしたのでどんどん暗くなってしまい、本当に緊張の連続でした。とてもじゃないけどこんな車でくるところではない!とその無謀な行動に自ら反省の念と、同時にこんな道を難なく走れる車が欲しいという思い起きてきたのでした。
更に先ほども一度触れたように、2002年12月に海ノ口城に連れて行ってもらったときの道での出来事でした。RVRでその道を登って行きましたが途中何度も底をこすってしまいそれ以上進むことは断念しました。この道を車で登ってみたい!と強く感じました。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/uminokuchi2.htm
その後、2003年06月29日にPSアドバイザー氏とともに訪れましたが、この時は麓に車を置いて歩いて一番上まで行き、その後2004年04月03日には車での走破も実行でき、とりあえず夢をかなえることはできました。このときは途中なんども車から降りて下をのぞきこみましたが、ギリギリのところで底をこすらずに済み、充分にその醍醐味を堪能することができたのです。
どうしても最低地上高が高い車がないと史跡に到達できないというわけではなく、海ノ口城のように麓に車を置いてそこから歩いていけばいいのですが、まだ当時はあえてそういう道を車で走ってみたいという欲望が強かったのです。


こだわりその2:最小回転半径、全長
それまでは車の大きさなどは、大は小を兼ねる!くらいにしか思っていませんでしたが徳島県宍喰町に行ったときに、狭い林道にさまよってしまい、あげくの果てには行き止まりでしたが、道が狭くてUターンすることができずかなりの距離をバックしなければならない経験をしたのです。
http://bushi.hp.infoseek.co.jp/kuo.htm
この時以来、こういう道を走る際には小回りの効かない車は駄目である!という信念が芽生えたのでした。
フォレスター購入後に国峰城に行ったときも狭くてカーブの多い道でした。一度で曲がりきれないところが多く何度もハンドルを切り返して行ったことを覚えています。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/kunimine.htm


こだわりその3:全幅
チェイサーに乗っていたころに行った花倉城も道が狭くて大変なところでした。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/hanakura.htm
突然急な登り坂になり、アプローチアングルがクリアできないか!と思いましたがチェイサーでもギリギリなんとかなりました。今まで走ったところで一番厳しい角度のところでしたがチェイサーでもOKでしたので、このアプローチアングルというのはあまり意識しなくてもいいと思います。
それより困ったのが狭い道と茶畑でした。静岡県での史跡探索では茶畑の中の狭い道を走らなければならないケースもけっこうありますが、この花倉城で初めて茶畑の道を経験しました。そもそも茶畑の道は軽トラが走れればいいようにできているとしか思えないほどの幅しかなく、あえてそこへ突入していくとお茶の木の枝などによる引っかき傷がついてしまうのです。
フォレスター購入後に行った滝境新城では、まさに狭い道を走りぬけて城跡にたどり着きその先の茶畑を通り過ぎてその先の史跡へ抜けることができたという、大きな車では絶対に走破することはできないところでした。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/takisakaisinjo.htm

 


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